【レビュー】「初音ミクを殺すための101の方法」


来週末に「超ボーマス」というボーカロイドの同人イベントがあるのですが、「そこで東工大ボカロ等合成音声技術総合サークルTECHLOID」が頒布する機関誌の中から「初音ミクを殺すための101の方法」というゴッツイ批評が先行公開されています。
タイトルからブッ飛んでるんですけど、中身もだいぶ冒険的。ルーマンの「社会システム論」という 社会学の方法論を使い、「初音ミクという初期ボーカロイドたる存在への言及を矮小化し、次世代ボーカロイドへの言及を拡大化すること」つまり「『初音ミク』というキャラクターを過去の存在として『オワコン』化させること」を画策する論稿となっています。

僕もボーカロイド曲を作ったり論じてる身なので(うちの新作はこちらになります^^)、もうこれは”ヤバい”やつだなって思ったので早速読みまして、まだ実際に頒布されていないのにレビューしてみる次第です。発表前にレビューとかいう訳わからんことになってるけど自重しない。

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さて、そもそも社会システム論って何じゃらほいって話なんですけど、とりあえずここでは「”社会”というものを相互に影響を及ぼしあう要素から構成されるものとして捉える学問の流派」だと説明しておきます。社会学の論じ方って統計だとかインタビューだとかケーススタディだとか色々あるんですけど、社会システム論の場合は抽象的かつスケールのデカい理論で攻めるやり方になりますね。ルーマン流のやり方については本文を参照してください。というか僕の説明なんてクソなので本文をちゃんと読んでください。

で、本文。社会システム論という壮大かつ独特の論理を使うにあたり、ちゃんと参考文献と解説書に則って慎重に、そして曖昧さを極力回避しながら論じているのには好感を持ちました。でも…やっぱり難しい。社会システム論って社会学界の中でも難解過ぎると批判されるくらいなので難しいのは当たり前なのですが、それにしてもややこしいっすね。
そして僕が引っかかりを覚えたのは、社会システム論でボーカロイドを語るために多くの不可思議な前提を置かなければならない点です。特に、「1,クリエイターは新しい価値を生み出さない 2,従って、新しい作品とは親空間と子空間内の既存コンテンツの新たな組み合わせにすぎない」という2つの前提を提示する部分。いくら「これは少なからず現実を無視した本論において必要悪な誤りである」とはいえ、こういう前提を立てればそりゃその時点で「オワコン化」は完了するのでは?と思いました、最初は。

でも後編の具体例を読んでみると、机上の空論と思われた社会システム論によるボーカロイド分析はそれなりに説得力を持ってたんですよ。確かにボーカロイド文化の特長って「感動の創出」だとか「高度なクリエイティビティ」ではないですもんね(基本アマチュアのやることなので、客観的にはそんなもんです)。そういう意味で、コミュニケーションを根源としたシステムとして捉えるのは有効だったかと思います。
実際のところ、示される結論はすごく真っ当というか、もはや「あるあるwww」と言いたくなるような話です。挙げられてるような面倒くさい音楽ファンはホント厄介ですよね、分かります。ここから言えるのは、ネット文化を論じるときに感想文みたいな批評を延々とするんじゃなくて何らかのバックボーンを基に語ったほうがビシっとした結論を示せるということを、社会システム論という抽象度の高いやりかたでも実証してみせたことは大きな仕事なのではないかなということです(ただ、逆から言えば、ややこしい考察をしても割と普通の結論が出てしまっているのは残念でした)。

もう一つこの論考に可能性を感じた点が有ります。本文中にてコミュニケーションの流通について色々言及されているわけですが、ボーカロイドを巡るコミュニケーションの特殊性は、ニコニコ動画という情報システムの観点からも多くのことが指摘されています。もしこの情報システム論と社会システム論の接点が見つかったら、独自性ある斬新な主張を出せるのではないかと思うわけです。これは別に言葉が近しいというだけの話ではなくて、例えば「複雑性の縮減」という考え方は情報理論でいうところの情報量やエントロピーの概念と親和性が高いわけですし、意外と取っ掛かりやすいのではないかなとも思ってます。


…あ、ちなみにこの記事、一応僕のサークルの広報も兼ねてるのでM3の告知記事のリンクを再度貼っときますね…。なにとぞ「非実在性芸音科学」をよろしく。
http://unrealmusicstudies.blogspot.jp/2015/04/m32015.html

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