大学のOBライブに出たときの話、意地を維持することについて

先日に名古屋でライブをやりまして、どうにも煮え切らない思いになったお話です。

僕は学生の時にバンドサークルに所属してて部長もやってた程度にはドップリでして、最近は年一開催になりつつあるOBライブにもだいたい出てます。そんなわけで1月6日にやってきた次第です。ちなみに今回はMUSEのコピーでボーカルとギターとキーボードをやり、パスピエのコピーでドラムを叩くという結構しんどい内容でした。

「打ち上げこそ本番っしょwww」みたいなスタンスにはなりたくないし、まぁまぁ真面目に練習しているつもりなんですが、どうしても突き詰めた演奏には至らない。忙しくて云々もあるけど、アラサーでバンドを組むと「そんなに必死にならんでも最終的には無難に収まる」というのを経験的に知ってしまって、心の奥底の「まぁいっか」が邪魔をしてしまう感じがあるんです。

で、OBライブなので打ち上げが同窓会じみてくるんですけど、とりわけ知り合いがライブの感想とか全然喋らないことに気づいたんですね。こちらから振らない限り、家族がどうとか仕事がどうとかそういう所帯じみた話になる。あえて触れないようにしてるのかと勘繰るレベルで。

もしかして、みんな僕と同じ感覚を共有していたのだろうか。 そうだとしたら、みんな社会人になってだんだんブランクが露骨になってきて、妥協の固まりを再確認せざるを得ない場としてのライブになってしまったのだろうか。おそらく、本当だったらそれでもいいのだろう。ブランクを再確認してこそ飲める酒もあるだろうし、みんながみんな社会人になっても尚バリバリと弾けてたら客観的に見ればイタい集団だろう。それでも僕は、そういう場をわざわざ設けてほしくは欲しくないかなぁ、なんて思いました。客観的に言って、そういうのはライブとして面白くないしね。

例外的に音楽の話で盛り上がったことがあって、 それは僕の6つ下くらいの子たちがオリジナル曲をやってて、それの制作についてしゃべったときだった。良い曲だったよ。すごくまぶしかった。

そういえば会場から実家への帰り道、 道中の料理屋が数件無くなっていることに気づいた。綺麗なアパートが建っていた。その近くにある長年陣取っている木造住宅が逆に場違いに見えるようになった。終えたばかりのライブと町の有様が通じるものがあるような気がして、深夜の名古屋市中川区をゆっくりゆっくり歩いて帰ったのでした。

0 件のコメント :

コメントを投稿