最近はいわゆるオタク趣味が政治性を帯びることが多くなりましたし、同人活動だって無関係では居られないと思っていまして、かといって積極的に関与するべきものとも思えんし、などなど逡巡した結果がこの文章です。ご笑覧ください。
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同人音楽は政治に一発カマせるか?
〜MUNEO HOUSE・初音ミク・SEALDs〜
同人音楽が政治に直結する可能性なんて、皆様考えたことがないかと思います。そして繋げる意義も考えない、むしろ「同人に政治を持ち込むなよ…」と思うことでしょう(僕も若干そう思う)。
ところがかつて、同人音楽が政治にモロ直結しかけたことがあります。アラサーの方はご存知かもしれませんが、かつて鈴木宗男元衆議院議員が汚職事件で注目された時に、ネット上で「ムネオハウス」というテクノ音楽が話題になりました。これは2ちゃんねらーにより作られた、鈴木宗男の発言をサンプリングしたハウスミュージックのことです。TV ニュースでも取り上げられたようで、ボカロ現象には及ばないものの、結構な影響力を持ちました。
今回はこれを軸に「同人音楽が政治や社会を変えうるか」「それに意義があるのか」「同人は非政治的であるべきではないのか」などの問題について簡単に述べていきたいと思います。
【同人音楽は政治から逃げてきた】
実はこのムネオハウスを研究した社会学者がいまして、日本のネット社会研究の草分けである遠藤薫(学習院大教授)がムネオハウス関連の論文を複数書いています。更に、ムネオハウス関連ニュース記事も未だにネット上で確認することができます。それらによると、普段クラブ遊びに慣れていない人々がムネオハウス系のクラブイベントを急遽立ちあげたことが記されていて、ネット上の悪ふざけが文化的行動を強力に喚起した事例として紹介されています(疑惑浮上から2ヶ月後にはイベントが開催されました)。当時はようやくブロードバンドが普及してきた時期で、ネット文化は今よりアングラでしたし、ましてやコンテンツを自作して政治家をいじるのは相当斬新でした。
ところが遠藤は、これをもって「ネット文化が人々の政治的行動を喚起した」等と結論づけず、むしろ彼らが政治的無関心を強調し続けたことを指摘しています。関係者は、ムネオハウスはあくまで政治的主張ではないと強調したのです。なぜこうなったかといえば、当時2 ちゃんねる上で無闇に政治的主張を展開するのはNGだったためです。今ではネット上のほうがむしろ政治的な発言ができる空気がありますが、ムネオハウス関連の出来事は2002年上半期すなわち日韓サッカーW杯以前の話で、当時ネトウヨの概念はありません。少なくとも雰囲気は少々違いました。
この結果、ムネオハウスは同人音楽ならではの楽曲制作法と実社会の問題とが結びつくことで強烈なエネルギーを持っておきながら、その社会問題の顛末には影響を与えないことに成功したのです。同様のケースがつい最近もありました。野々村元兵庫県議員の詐欺事件です。彼が記者会見で見せた壮絶な泣きっぷりと逆ギレが話題になって即座に音MADが大量生産されましたが、あくまでネタとして消費される一方でした。
これらは冷静に考えると異常なことです。政治家による汚職や詐欺という、場合によっては世相がひっくり返る事件をキッカケに、爆発的な創造性が展開されているにも関わらず、「才能のムダ使い」という美学のもとに徹底漂白されたのです。もちろん趣味の領域に社会正義を押し付けるほど息苦しいことはないんですが、それにしても不自然であり、そして不健康な出来事だったと思います。
【(同人)音楽の政治的ポテンシャル】
最近はSNSの発展に関連して一般市民によるデモ活動や政治的表現活動が日本でも活発化しています。具体的には、保守側では竹田恒泰やKAZUYAや桜井誠といった論客が動画サイトで注目を集めたことをキッカケに作家として成功しています。リベラル系団体の街頭活動はSNSによって拡大することで、例えば首都圏反原発連合は政府首脳陣との会合を果たし、SEALDsの場合も地方公聴会へ出廷するなど、行政への影響力を持つに至りました。
これらの事例を眺めていくとネット上の活動は決してバカにできないですし、理屈の上では同人音楽が政治ネタを軸にネット上で急展開した場合に政権を揺るがす可能性がでてきます。マジで。「あるあ…ねーよwww」って草を生やしたくなるところですが、初音ミクが人々の創造力を誘発することで音楽業界に強烈な一発をカマした、いやトドメを刺したことを思い起こしてください。2007 年の夏以降、同人音楽は日本をあっという間に飲み込みました。
さらにもう一つ。近年の若年層による政治デモは「サウンドデモ」と言って音楽やドラミングを軸にパレードを形成する事が多いこと、そしてそれが成果をあげていることは、音楽と政治の関係を考えるうえで興味深いです。単にシュプレヒコールをあげるだけのデモは15分でダレますが、音楽やビートに乗せれば逆に段々盛り上がることすらあります(ヒップホップなデモについては別の記事に書きました)。さらにSEALDsの事例でいけば「かっこいい韻をデモに練りこみたい」「イケてるフライヤーを作りたい」という創作活動への欲求が運動全体の継続的発展につながっています。つまり、サウンドデモの音楽は単にその音で人々の注目を集めるだけではなく、政治活動を増幅させる装置としての表現欲求を駆動させるエネルギー源になるわけです。
現に山本太郎らは「選挙フェス」を軸に活動をどんどん膨らませることで国会議員にまで成り上がりました。そして今まで音楽は政治性を持つことが少なくありませんでした。反戦ライブや反核ライブや反差別ライブなど幾らでもありますし、一昔前の日本でも軍歌ブームやフォークゲリラなどは世論に大きな影響を与えています。余談ですが古代ギリシャの時点で既に、プラトンやソクラテスが音楽の政治性についてウダウダ論争しております。
【同人文化が政治を無視できない時代が来た】
しかし、最終的に残る問題があります。それは「同人文化に息苦しいものを持ち込むな」という話です。自由さが大事である同人音楽文化において、せせこましい話題を持ち込むのは自殺行為では?と考える人は少なくないでしょう。
しかし、これはもう、諦めるしかないと思っています。というのも、ネット文化や同人文化は既に政治問題を抱えているからです。表現規制やTPP時代の著作権といった政治課題が同人文化をモロに揺るがしていますし、ネット文化そのものが「炎上」「ヘイト」「ステマ」などなど問題を産みまくっています。そもそも同人文化には強い自由主義的思想があって政治的には決して中庸ではありませんので(詳しくは過去の拙作をお読みください)こうなったのは自然の成り行きです。
しかも、同人作家は活躍のステージを広げ続け、初音ミクは電子の歌姫ではなく日本の歌姫になる昨今。これだけ存在感が大きくなったからには同人作家も無責任を決め込むわけにはいかない時代なのです。
別に「もっと政治を批判しろ」とか「安保法案に対して立場を表明しろ」とは言いません。しかし、同人文化には解決すべき問題があり、それに一発カマすポテンシャルを持っています。それでももし同人文化は断固ノンポリを貫き通すべきだというならば、何らかの手段で文化を縮小させて存在感を低めなければならないでしょう。それはそれで結構。同人音楽文化の強力なポテンシャルをあえて飼い殺すことも、もしかしたら必要かもしれません。
…さて、どうしたらいいでしょうか。ここから先は皆さんで考えてみてほしいです。考えながら、同人音楽しませんか?
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