で、そもそもどういうスピーチだったかというと、記事によると
「戦争は文化ではない」 「われわれは誇るべき平和を、ずーっと戦後70年、80年、100年、つづけていこうではありませんか!」 「なんでわざわざ、集団的自衛権が必要なのか?そんなにアメリカの機嫌が取りたいですか?」
うーん、甘噛みレベルの話です。白井聡みたいな学者なら「マッチョなのにインポなレイプ魔だ」とまで言いますからね。リチャード・ギアみたいにヴェネチア国際映画祭でチベットネタをしゃべるレベルにも程遠いです。
例としては某"組長さん"の「石田純一もスポンサーの意向を無視して政治的発言や主張をしたいなら、まず自分からCMも番組も降板すればいい。そうすれば圧力も批判も正々堂々と跳ね返せるだろう。負け犬の遠吠えみたいな真似は見苦しいだけだ。」という具合です。
確かに、(日本芸能)ビジネスの常識としてはその指摘の通りなのでしょう。でも、それで結論して良い話なんでしょうか?
僕は、芸能人の発言について社会が寛容さを持てないことは原理的に言って非常にヤヴァいと考えています。芸能人とは政治的な宿命を負わされやすい性質のものだからです。
ただし差別や暴力革命を肯定する発言は公益性が認められませんので話が違います。
もう一つ。人気のある芸能人は人間マスメディアになりますよね。大勢に何らかの表現を届けられる存在になるわけですから。さて、マスメディアは社会に対して問題提起をする(アジェンダ・セッティング)機能を持つことができます。すると当然ジャーナリズムの機能も帯びるようになります。
これをまとめてしまえば、芸能人がジャーナリスト化するのは自然な成り行きです。
ですから、芸能人に政治的な発言が求められる状況ってのは必然的に産まれてしまうわけです。それなのに穏当な政治的発言をしたら責任が本人のみに行って、おまけに莫大な損害を被るというのはあまりにも可哀相ですし、民主主義社会にとっても大きな損失です。もちろん芸能界にとってもイチイチ話がややこしくなるのは良くないでしょう。
国会議員には、議院での発言について法的責任を問われない特権があります。普通のマスコミも、政治的姿勢を表明してもお目こぼしをもらえますよね、というか推奨されます。
…でも芸能人だと干されるらしいです。本人は社会的責任を感じて発言しているのに。これはマズくないですかね?貧乏クジにも程がありますよ。
ちなみに若干個人的な印象論ですが、政治的なメッセージを放つ芸能人って表現の力も強いですよね。ピカソだって「ゲルニカ」が代表作ですし、ロックやヒップホップでもそういう傾向があるでしょう。
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