RADWIMPSの独創性とHINOMARUの凡庸と僕の愛という憎悪

僕は学生の時にRADWIMPSのコピバンをしてたことがある。
気づけばもう10年くらい前になってしまったし、当初はまだアルトコロニーの定理が出る前だったはず。RADWIMPS4の曲をメインにやってたかな。10曲近く弾いたのだろうか。そのせいか僕が曲を作るときギターのフレーズに結構反映されてしまっている(良かったら聴いてね)。

さて、RADWIMPSはカッコよくて良く聴いているのだけど、彼らの歌詞はずっと肌に合わなかった。彼の曲はシリアスな内容と軽薄な言葉遊びが一曲の中に入り混じっていて、聴き入ろうとしたタイミングを見計らったかのようにサム~いフレーズが飛び込んでくるのである。しかも憎たらしいほどに独創的なのだ。例えば「有心論」ではそれが際立っていて
君があまりにも綺麗に泣くから 僕は思わず横で笑ったよ
すると君もつられて笑うから 僕は嬉しくて 泣く 泣く

明日を呪う人間不信者は 明日を夢見る人間信者に
もう昨日を探してた僕はいない いない

君は人間洗浄機 この機会にどのご家庭にも一つは用意して頂きたい
こりゃ買わない手はない 嘘ではない

驚くべき効果を発揮します 新しい自分に出会えます
ただ中毒性がございます 用法・用量をお守りください

こんなキャッチフレーズを書こう やっとこさ君のクローンが成功した時にでも
だって君は世界初の肉眼で確認できる愛 地上で唯一出会える神様 
というフレーズはすごくRADWIMPSらしいものであり、本当に本当に傑作で、僕にとっては歯の浮くような甘いことをいうあたりが特にキツかった。

なお、 この「有心論」は有神論のもじりであり、無神論的な内容を含んでいるのが皮肉屋らしい。この世界観は「おしゃかしゃま」「実況中継」にも引き継がれているように思う。内容については諸々思うところあるが、いずれにせよ彼らは元々からメッセージ性の強いシニカルなバンドでもあったことは間違いない。



さて、話題になってしまったHINOMARU。曲がりなりにもRADWIMPSを聴いてきた身としては、これまで軽薄さをもってメッセージ性の強い曲を作ってきたバンドが「御国の御霊」云々という表現をするようになったことが驚きだった。単に愛国心・愛郷心を歌うミュージシャンなら山ほどいるが、ここまで突っ込んだ表現はめったに見ない。

世間では「軍歌っぽい」と受け止められているが、少しだけ違うと僕は思う。具体的に言うならば「国家神道的な世界観を表現するための単語が頻出している」と言えるだろう(注1)。野田洋次郎自身は「純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく」作ったというし、本人にそういう信念・信仰があるとも思えない(先ほど言った「おしゃかしゃま」を聴けばわかるが、信心のないバンドなのだ)。

とはいえ、ある程度年上世代の理解からすれば「御国の御霊」という言葉を「靖国神社に祀られている英霊たち」に読み替えるのが当たり前である。なので右翼性を指摘されて当然だが、彼らの性格からして逆手にとって「歌詞にはそのような意図はないのだから、そういう連想をしてしまう聴き手こそがおかしい」という難癖をふっかけるために歌詞を書いたのではないかと邪推してしまう(というか現に野田洋次郎がそういう呟きをしていたらしいが削除してしまったとか)。「右も左もなく」という表現は他所でもよく見るが、所詮こういうやり口のお約束フレーズにすぎない。

ところで、今回の騒動で結局のところHINOMARUは右翼勢力が反左翼を煽る材料になってしまっている。本人の意思とは異なり、あっという間にイデオロギーむきだしの言説に取り込まれてしまった(注2)。
【保守速報、Share News Japan】RAD、ライブでHINOMARU披露「自分の生まれた国を好きで何が悪い」と絶叫 http://hosyusokuhou.jp/archives/48819151.html https://snjpn.net/archives/55056 
【 Togetter 】RADWIMPS「HINOMARU」に抗議するためライブ会場の前で集会をするというTwitterアカウントが爆誕し困惑する人々 
(※なお、この抗議集会はデマの可能性が高いので要注意)https://togetter.com/li/1236776
こういう結末も「右でも左でもない」言い草にはありがちである。僕としてはあまりに見慣れた光景だ。こうして僕にとってのRADWIMPSが、(良くも悪くも)鳥肌が立つレベルの独創的な存在から、今まで何回も観たような量産型バンドに変わってしまったのが残念で仕方がない。

メッセージとは、発話者の意図とは関係なく機能することが往々にしてある(注3)。そんなことはRADWIMPS のようなバンドなら誰よりも知っていたはずだ。だから今の僕は、誰にも誤解されないような、とことん露骨に悪意と愛情をむき出しにした、かつて僕が嫌いだったRADWIMPSを期待してしまうのである。

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注1:歌詞から挙げると、「身が滅んでも幾千代に咲き誇る」といった表現は神道の世界観の表れだし、そこにナショナリズムを示唆する「旗」や「国」が散りばめられている。意図を込めていようといまいと、これらは思想的な記号として機能するだろう。

注2:概していうと、HINOMARUに対して左派言論人から批判が巻き起こったことから、「リベラル派は寛容を是とするくせに不寛容だ」というような趣旨の揺り戻しが生じている。一応筆者から補足しておくと、リベラルな社会において寛容が求められるからといって、何かを非難することがNGになるわけではない。

注3:セクハラ事案ではありがちである。「あんなのアイサツと同じじゃないか」は通用しないのであった。ちなみにアカデミックな言い方をすると、言語行為(コミュニケーションによって成り立つ行為)の成立を左右するのはメッセージそのものの内容だけではないことが指摘されている。

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