人工知能で“人間のような体つきをしたもの”に早く動くことだけを条件付けすると(つまり痛覚などを計算から省くと)、頭部や背中を脚のように使って這いずるCGができたのですが、それにたいして宮崎駿が「極めてなにか、生命に対する侮辱を感じます」と応えたのです。
宮崎駿に同調し、川上氏に対して「非人道的だ」「差別的だ」と相当の非難が生じています。左派ネットメディアとして知られるリテラにおいては「宮崎駿がブチ切れた川上量生の差別思想」との見出しをつけ、「川上量生という経営者が人間の痛みを想像できない人物であることも、あらためてはっきりとさせた。」とまで言います。その他、メディアやTwitterでの反応も結構なものです。
しかし、Disってる各位はドワンゴを舐めすぎでしょう。僕はドワンゴのやってることは極めて芸術的だと思っています。
彼の映像は相当のバッシングを浴びたわけですが、それは「人間が直感的にこれ以上なく非人道性を覚える映像」を作りだしたことの裏返しであり、生命を褒めたたえる芸術を作るのが難しいのと同じ意味で、極めて難しい芸術表現に成功したとも言えるのです(似た例に会田誠の「犬」シリーズがあります)。
もう少し分かりやすく言い換えると、 あの映像は「もしかしたら人間は痛覚の有無に”生命の尊厳”なるものを見出しているのかもしれないな?」という仮説を与えてくれるわけで、そんな重大な哲学論争を吹っ掛けるアニメーションを作りだすことはなかなか簡単なことではないのです。
しかもあれは人間が作ったわけではなく、ITとアートの融合体とかいうワケワカラン何かがいきなり”生命の尊厳”のヒントをぽんと出してきたわけです。しかもあくまでAIの"計算結果"として。これはすごくないですか?この先ITが進歩しまくったらとんでもない成果になりますよ?計算なんだから環境整ったら誰でも結果だせちゃいますよ?現にドワンゴからしたら実験がてらやってみたに過ぎないわけですし、すでに真似してやってみた動画がうpされています。
もう一つ忘れてはならないのは、ドワンゴは制作よりも配信をする会社であり、他の誰かに制作インスピレーションを与えることにも重きを置いてます。だからこそAIという科学的=非属人的手法を用いるわけです。この手段と目的が一緒くたになった態度ゆえにジブリ各位がいらだつのですが(普通の作家なら自然な反応です)、この番組のオチは宮崎駿が現役復帰を決めるシーンなので、結果的にはドワンゴの映像の破壊力が人間の創造欲をかきたてるという大勝利をおさめたのではないでしょうか。
補足をしておくと、芸術は必ずしも人間的である必要はありません。というかむしろ、非人道的な表現が人権の突破口を開くケースもあります(フェミニズムアートを画像検索すれば分かります)。 なにより、そもそも大して怒られてませんよねアレ。あのくらいのピリピリムードなんて芸大に行けばどこでも見られるはずです。制作の意図を問い詰めることは指導者の基本作業にすぎないし、もっとタチの悪い攻撃してくる老害なんて沢山います(古いライブハウスの店長やらギャラリーのオーナーとか…)
0 件のコメント :
コメントを投稿